Yonin-Bayashi / 四人囃子

Yonin-Bayashi / 四人囃子
Biography

四人囃子(よにんばやし)は、1971年に結成された、日本のロックバンド。
日本のロックのパイオニア、そして、プログレ/テクノのオリジネイターとして再評価が著しいロック・バンド“四人囃子”.

 ・ amazon : Yonin-Bayashi / 四人囃子

 ・ Spotify : Yonin-Bayashi / 四人囃子

Yonin-Bayashi / 四人囃子のベストアルバム

・ 四人囃子ゴールデン☆ベスト (2011)
・ 四人囃子アンソロジー (2017)

Yonin-Bayashi / 四人囃子のアルバム

・『ある青春/二十歳の原点』(1973年) サウンドトラック
・『一触即発』(1974年)
・『ゴールデン・ピクニックス』(1976年)
・『PRINTED JELLY』(1977年)
・『包(bao)』(1978年)
・『NEO-N』(1979年)
・『DANCE』(1989年)

Yonin-Bayashi / 四人囃子のメンバー

・森園勝敏 (Morizono Katsutoshi) ⇒ 佐藤ミツル(Sato Mitsuru) ヴォーカル
・岡井大二 (Okai Daiji)
・中村真一 (Nakamura Shinichi) ⇒ 佐久間正英 (Sakuma Masahide) ベース
・坂下秀実 (Sakashita Hidemi) 
・茂木由多加 (Mogi Yutaka) キーボード

結成 – 1971年
1969年、森園勝敏と岡井大二が高等学校在学時に出会い、彼らと中村真一を加えた「ザ・サンニン」として活動を開始。その後、坂下秀実が加入し「四人囃子」としての活動を始める。最初のポニーキャニオンからの再発シリーズのライナーによれば、当時の風聞では「18歳の若さでピンク・フロイドの大曲”Echoes”を完璧に演奏できるバンド」として、名の知れた存在だったという。

1973年に邦画のサウンド・トラック『ある青春/二十歳の原点』を発売しプレ・デビュー。 1974年に東宝レコードから『一触即発』を発売して本格的にメジャー・デビューを果たす。

ファーストアルバムの発売後、キーボードの茂木由多加が参加。その後、ベースの中村が脱退。のちに名プロデューサーとして名を馳せることになる佐久間正英が後任のベーシストとして加入し、5人体制でシングル『空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ』(1975年)を発売する。

茂木が脱退した後、後セカンド・アルバムの『ゴールデン・ピクニックス』(1976年)を発売するが、アルバム発売後にフロントマンだった森園が脱退してしまい、バンド存続の危機に見舞われる。

佐藤ミツル在籍時
1977年に佐藤ミツルが新ヴォーカル&ギターとして加入しバンド活動の続行を決定、サウンドも大きく変化する。『PRINTED JELLY』(1977年)、『包(bao)』(1978年)を発売。坂下に代わり再び茂木をキーボードに迎え『NEO-N』(1979年)を発売するものの、その後バンドは長らく活動休止する。

『DANCE』&『FULL-HOUSE MATINEE』 – 90年代
1989年、佐久間、岡井、坂下の3人で『DANCE』を発売する。 更にはMZA有明にて森園と佐藤も含めた5人での再結成ライブを行った。 その模様は『LIVE FULL-HOUSE MATINEE』として、CD及び映像作品としてリリースされた。