Flower Travellin’ Band / フラワー・トラベリン・バンド

Flower Travellin’ Band / フラワー・トラベリン・バンド
Biography

フラワー・トラベリン・バンド(Flower Travellin’ Band)は、1970年にデビューした日本のロックバンド。
内田裕也のアイディアにより全曲英語の歌詞で歌い東洋的な旋律をモチーフとして独自の音楽性を確立した。当時の音楽業界ではロックを日本語で歌うか英語で歌うかの論争(日本語ロック論争)があったが、内田は英語で歌うことを決断した。
東洋的な旋律の上に乗る山中の高音の歌声と石間のスライド・ギターを駆使した「SATORI」は高い演奏力とあいまって無国籍的な一種独特の世界を展開している。

Flower Travellin’ Band / フラワー・トラベリン・バンドのアルバム

・『Anywhere』(1970年10月21日)
・『SATORI』(1971年4月25日)
・『Made In Japan』(1972年2月10日)
・『Make Up』(1973年2月25日)
・『The Times』(1975年10月)
・『We are here』(2008年9月)

・ Spotify : Flower Travellin’ Band / フラワー・トラベリン・バンド

Flower Travellin’ Band / フラワー・トラベリン・バンドの活躍

内田裕也とザ・フラワーズがメンバー交代で元4.9.1(フォー・ナイン・エース)のジョー山中(ボーカル)、元ビーバーズの石間秀樹(ギター)、元ザ・タックスマンの上月ジュン(現小林ジュン、ベース)、和田ジョージ(ドラムス)4人による体制になり1970年2月に改名し再出発。内田裕也はプロデュースを担当し、日本コロムビアから日野皓正・クインテットとシングル「Crash」を発表したあと10月に日本フォノグラムでアルバム『Anywhere』を発表。

同年に開かれた大阪万国博覧会の出演中に知り合ったカナダのロックバンド、ライトハウスに見出されメンバーはカナダへ渡る。地元でライブ活動を重ね評価を上げた彼らはアメリカのアトランティック・レコードと契約し4月にアルバム『SATORI』をアメリカとカナダで発売(日本はワーナー・パイオニアから)。同アルバムと、シングル・カットされた「SATORI Part2」がカナダのチャートに入る。また、ライトハウス、ELP、ドクター・ジョンなどのミュージシャンと競演ライブも行った。

1972年3月の帰国後、篠原信彦(キーボード、ex.ハプニングス・フォー)がサポートメンバーとしてバンドに参加。全国縦断コンサートを行い、さらに1973年1月に来日するローリング・ストーンズの前座を務める予定だったが、来日は中止になり大きなチャンスを逸してしまう。1973年2月、アルバム『Make Up』を発表。同年4月、京都円山公園音楽堂で行われたコンサートを最後に解散する。

解散後、石間と篠原は新六文銭の元メンバーらと共にトランザムを結成、他のメンバーはソロで音楽活動を続けたが、上月ジュンは後にカナダで事業家に転じた。